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フランス文学、哲学・現代思想@aya_furukawa03

顕在内容とイマージュ――S・フロイト『夢判断』(新潮文庫)

 

最近精神分析界隈について勉強しなおしてるので今回はフロイトの『夢判断』。

一年ほど前に書いたものを修正したやつです~。

 

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 「すべての夢は願望充足である」――S・フロイトの事実上の処女作である『夢判断』では、このテーゼを軸に夢に関する精神分析が様々な事例を挙げて語られる。
 そもそも願望充足とは何であろうか。フロイトの定義するところによると、願望とはある種の知覚の再出現を求める営みだという。例えば、何かを食べたいという願望があるとすると、それはその食べたい「何か」自体を求めているのではなくそれを以前食べた際味わった知覚を再び体験することを求めているのである。そして、夢における願望充足とはこの食べるという行為を現実世界ではなく、夢の中で行うことを言うのだ。フロイトの娘が見たという母親がベッドの下に大きなチョコレート棒をたくさん入れてくれた夢――彼女は前日チョコレート棒を欲しがっていたという――はこの願望充足の最たる例と言えるだろう。
 だが、ここで我々が注視すべきは「すべての夢」は願望充足であるという言葉である。夢には、先ほど述べたような明らかに願望充足であると言えるものから夢を見た本人が望んでいないと否定したくなるもの――例えば兄弟や親族が亡くなる夢など――まで様々ある。この、本人が望んでいることを否定したくなる夢は果たして先ほどの定義に当てはまるのか。フロイトはこれを説明するために顕在内容と潜在思想という言葉を持ち出す。
 顕在内容とは、端的に言えば夢の内容を指す。それに対し、潜在思想とはその夢に隠された真の意味を指す。フロイトは、この潜在思想とは個人が幼児であったときに生じた願望なのだと主張する。それは成長とともに不愉快な内容と感じられるようになるために普段は抑圧され、ないものとされているのだが真に消え去ったわけではない。願望は成人後も日常の中で無意識に存在し、生活の様々な面においてそれを充足しようと活動し続けているのだ。そしてこの常に充足を求める無意識的で幼児的な願望は、これを阻止しようとする傾向との対立を人々の無意識下において繰り広げている。日中、潜在思想がこの傾向を打ち負かし願望を充足させることはない。しかし、夜になり人が眠りにつくと精神活動の働き自体が鈍くなる。したがって、潜在思想は人が眠っているとき積極的にその願望を充足させようと夢を作り出すのである。といっても多少の抵抗は残るため、その夢は潜在思想が明確には分からないよう歪められたものとなる。
 ここまで「すべての夢は願望充足である」というフロイトの主張について語ってきたが、彼は後にこのテーゼに反する夢の事例に出会う。そしてこれは個人における究極の不在の克服、意識の発生の問題へと発展していく。このことに関しては彼の著作である「快感原則の彼岸」で語られる。しかし、このテーゼが多少の例外を持つとしても夢の解釈に新たな手法を打ち出したという点で重要な作品であると言える。更には文学においても、この「目に見えるもの」が「別のイマージュをもつ」という事実は注視すべきことであろう。