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フランス文孊、哲孊・珟代思想@aya_furukawa03

䜕者にもなれなかったあずに

䞀昚幎の10月、倧孊院に萜ちた。理由は英語だった。

でも、「お前は文章を曞いおいい人間じゃない」ず蚀われたように思えた。1月にも他の倧孊院の入詊はあったけれどそこに向けお頑匵れるような根性はわたしにはなく、半幎の䌑孊ののち就掻をした。

就掻の結果は成功ずいえるものだった。10瀟受けたうち6瀟から内定をもらい、そこそこ倧手の商瀟にいくこずを決めた。

たぶん、他人から芋たらそこそこ順颚満垆な人生なのだず思う。10人䞭4人が可愛いず蚀っおくれるような䞭途半端な、けれど生きおいくのには困らない容姿があっお、圌氏も家族もいお、ある皋床の孊歎があっお、そこそこの䌁業に内定が決たっおいお。

けれどわたしはこれからも院詊に萜ちたこずを、萜ちたあずも文章を曞き続けようずしなかったこずを思うたびうたく息ができなくなっお、死にたくなりながら䜕者かになろうずしなかった自分を呪うのだず思う。

文孊における〈異化〉効果

 

 文字によっおものが圢䜜られるずき、〈存圚〉ず〈認識〉の間には必ず時間差が生じる。目に映るものであればその姿を䞀床にずらえるこずができるが、それが〈曞かれたもの〉ずなったずき、われわれはその郚分をひず぀ひず぀認識しおいかなければならない。この〈認識〉にかかる時間は描写が緻密になされればなされるほど長くなっおゆく。
 描写が緻密になるず蚀えば、〈描かれるもの〉がより具䜓性を増しおいくず考える読者も少なくはないだろう。しかし、现かすぎる描写は読み手にその党䜓像を忘れさせる――もしくは想像さえさせない――のである。以䞋に挙げるのは『ボノァリヌ倫人』においお転校生ずしお姿を珟したシャルルの垜子に぀いおの描写である。

 

 それは熊の毛皮ずカワり゜の毛皮垜、槍階兵のシャプスカフェルトの䞞垜子、朚綿の孊寮垜、いずれずも芋える耇雑珍奇なかぶりもので、぀たりは、その物いわぬ醜悪さが、癜痎の顔にも劣らず深々ずものをいう、哀れきわたる代物であった。それは卵圢で、鯚骚の芯で匵っおあり、瞁はたるで゜ヌセヌゞを䞉重にぐるぐる巻きにしたような圢で、うえに目をやるず、二列の菱圢暡様が぀づき、䞀列は倩鵞絚、もう䞀列は兎の毛皮、境は赀い玐で仕切られおいる。

 

本圓はただ続くけど断念 

 

 数行にわたるシャルルの垜子に぀いおの描写は、読み手にひず぀の〈垜子〉ずいうたずたりのある物䜓を䞎えはしない。読み手の目が赀い玐をずらえたずき、そこにはすでに熊の毛皮やカワり゜の毛皮は存圚しないだろう。
 では、この描写が緻密であるがゆえに〈認識〉にかかっおしたう時間の長さずはテクストに䜕をもたらすのか。それは、党䜓性の喪倱である。郚分に切断された〈もの〉は、芋慣れたものからある皮の違和感を瀺すものぞず倉化する。そしおこれが、〈異化〉の効果であるずいえるだろう。

顕圚内容ずむマヌゞュ――・フロむト『倢刀断』新朮文庫

 

最近粟神分析界隈に぀いお勉匷しなおしおるので今回はフロむトの『倢刀断』。

䞀幎ほど前に曞いたものを修正したや぀です。

 

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 「すべおの倢は願望充足である」――・フロむトの事実䞊の凊女䜜である『倢刀断』では、このテヌれを軞に倢に関する粟神分析が様々な事䟋を挙げお語られる。
 そもそも願望充足ずは䜕であろうか。フロむトの定矩するずころによるず、願望ずはある皮の知芚の再出珟を求める営みだずいう。䟋えば、䜕かを食べたいずいう願望があるずするず、それはその食べたい「䜕か」自䜓を求めおいるのではなくそれを以前食べた際味わった知芚を再び䜓隓するこずを求めおいるのである。そしお、倢における願望充足ずはこの食べるずいう行為を珟実䞖界ではなく、倢の䞭で行うこずを蚀うのだ。フロむトの嚘が芋たずいう母芪がベッドの䞋に倧きなチョコレヌト棒をたくさん入れおくれた倢――圌女は前日チョコレヌト棒を欲しがっおいたずいう――はこの願望充足の最たる䟋ず蚀えるだろう。
 だが、ここで我々が泚芖すべきは「すべおの倢」は願望充足であるずいう蚀葉である。倢には、先ほど述べたような明らかに願望充足であるず蚀えるものから倢を芋た本人が望んでいないず吊定したくなるもの――䟋えば兄匟や芪族が亡くなる倢など――たで様々ある。この、本人が望んでいるこずを吊定したくなる倢は果たしお先ほどの定矩に圓おはたるのか。フロむトはこれを説明するために顕圚内容ず朜圚思想ずいう蚀葉を持ち出す。
 顕圚内容ずは、端的に蚀えば倢の内容を指す。それに察し、朜圚思想ずはその倢に隠された真の意味を指す。フロむトは、この朜圚思想ずは個人が幌児であったずきに生じた願望なのだず䞻匵する。それは成長ずずもに䞍愉快な内容ず感じられるようになるために普段は抑圧され、ないものずされおいるのだが真に消え去ったわけではない。願望は成人埌も日垞の䞭で無意識に存圚し、生掻の様々な面においおそれを充足しようず掻動し続けおいるのだ。そしおこの垞に充足を求める無意識的で幌児的な願望は、これを阻止しようずする傟向ずの察立を人々の無意識䞋においお繰り広げおいる。日䞭、朜圚思想がこの傟向を打ち負かし願望を充足させるこずはない。しかし、倜になり人が眠りに぀くず粟神掻動の働き自䜓が鈍くなる。したがっお、朜圚思想は人が眠っおいるずき積極的にその願望を充足させようず倢を䜜り出すのである。ずいっおも倚少の抵抗は残るため、その倢は朜圚思想が明確には分からないよう歪められたものずなる。
 ここたで「すべおの倢は願望充足である」ずいうフロむトの䞻匵に぀いお語っおきたが、圌は埌にこのテヌれに反する倢の事䟋に出䌚う。そしおこれは個人における究極の䞍圚の克服、意識の発生の問題ぞず発展しおいく。このこずに関しおは圌の著䜜である「快感原則の圌岞」で語られる。しかし、このテヌれが倚少の䟋倖を持぀ずしおも倢の解釈に新たな手法を打ち出したずいう点で重芁な䜜品であるず蚀える。曎には文孊においおも、この「目に芋えるもの」が「別のむマヌゞュをも぀」ずいう事実は泚芖すべきこずであろう。

「䞀人称を略奪しお曞け」――村䞊韍『限りなく透明に近いブルヌ』講談瀟文庫

 

批評再生塟の第四回の課題で

五所さんが出しおいたテヌマ䞀人称を略奪しお曞けが

面癜かったので受講生でもなんでもないんですが

村䞊韍の『限りなく透明に近いブルヌ』で曞いおみたした。

 

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 䜕からはじめようかな。僕の芋るものの話からしようかな。それずも、䜜者――぀たりは、僕にずっおの神だ――がそうしたように虫の話からすればいいのかな。でも、芋るものの話からのほうがいいだろうな、リリヌがやたら気にするだろうから。
 僕の芋るものずの距離を、これはラリっおるからなのかっお蚀う人もいるだろうし、映画のようだっお蚀う人もいるだろう。僕はたしかにはじめから郚屋を飛んでいた虫を芋お、テヌブルを芋お、そのうえにある灰皿を芋おいた。それから、その䞭にあるタバコに口玅が぀いおるのを芋お、おんなじテヌブルの䞊にあったワむンのラベルを芋お、ワむングラスを芋お、絚毯を芋お、鏡を芋お、そしお最埌にリリヌを芋たっけな。こういうのはそれぞれ僕のいた郚屋の離れた堎所にあったんだけど、それを芋るずき普通は「近づいお芋るず」っお蚀うらしいよ。誰かが僕にずっおの神にそう蚀ったらしいんだ。でもさ、これはいわゆる物語なんだから。僕の芋るものが倉わったっおこずは、僕ず僕の芋るものの距離が倉わったんだっおわかったっおいいはずなんだよ。たあそれが僕がラリっおるようにみせたんならそれはそれでいいんだけど。だっお実際僕はドラッグを打っおいたんだから。
 僕の芋るものに぀いおはリリヌはこれくらいで玍埗しおくれるかなあ。そろそろ虫の話をしないずいけないんだ。虫をさ、僕はあの物語のなかで僕の神に䜕床も朰させられたんだ。僕はそれに恐怖したよ。い぀か僕も虫みたいに倧きな䜕かに朰されおしたうんじゃないかっお。倧きな䜕かっお、黒い鳥のこずなんだけどね。僕の頭のなかで䜜り䞊げおいた宮殿だったり郜垂だったりを壊したあの黒い鳥のこずさ。だから僕はあい぀に朰されないように腐ったチキンを食べたりしたんだ、あい぀になるために。
 だけど、僕は気づいたんだ、僕たちを䞊から眺めおる鳥は飛行機のこずなんだっお。クロンボが乗っおる飛行機なんだよ、僕らはずっずその近くにいたんだ。僕の神も僕にこう蚀わせおいただろう、「俺は知ったんだ、ここはどこだかわかったよ。鳥に䞀番近いずこなんだ、ここから鳥がきっず芋えるはずだよ」っお。僕らは確かにあい぀らに寄生しお生きおいた。だから僕の空想郜垂には飛行堎が必芁だったんだよ。けど、僕は完党にあい぀らず同じになっおしたうのが怖かったんだ。そう思ったから僕は虫でも飛行機でもある黒い鳥を殺さなきゃっお自分を刺したんだよ。
 僕の話はこれだけなんだけどさ、僕の小説が本になったずき解説で綿矢りさっお小説家が「バヌガヌ䞀぀ポテト䞀぀ずいう日垞の䌚話が、村䞊韍さんの手にかかるず、なぜか胞にせたっお苊しくなる」っお曞いおたのにはむか぀いたよね、物曞きなんだからなぜかじゃなくお蚀葉で説明しろよっお。たあそのあずの文章で説明した぀もりになっおるのかもしれないけど。僕が蚀いたいのはそれだけだよ

未完成に、革呜的に――ゞル・ドゥルヌズ「文孊ず生」『批評ず臚床』河出文庫

Twitterにベケットだったりドゥルヌズだったりが奜きっお曞いちゃったからほんたに奜きやけど、ずりあえずはじめはドゥルヌズからあげおいきたす。ね。

因みにわたしがはじめお読んだドゥルヌズやったりしたす。

 

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 『批評ず臚床』の第䞀章である「文孊ず生」では、プルヌストの「矎しい曞物はすべおある皮の倖囜語で曞かれおいる」ずいう蚀葉を甚いながら「曞く」ずいう行為の本質に぀いお語られる。そこでドゥルヌズは、文孊は「生成倉化」に関わるものであり、その最終的な目的ずは「錯乱」の䞭から「健康」を創造するこずであるず䞻匵する。
 たず圌は文孊ずは個人的な䜓隓などを物語るこずではないず断蚀し、物語内容を「自分の父ヌ母」ずいう類のオむディプス構造に還元しようずする粟神分析的な解釈を吊定する。その䞊で、神経症ずは生のプロセスの停止状態であり、それずは反察に文孊ずは生の移行――生成倉化による健康の䌁おであるず圌は述べる。この生成倉化ずは「女に―なる」「動物に―なる」「分子に―なる」ずいうこず、぀たり、「女」「動物」「分子」ずいった既存の枠内で別のものぞず移行しおいくその途䞭経過にある状態を指す。したがっお、健康ずはその「のあいだ」「の䞭」ずいう状態にあるこずによっお男女ずいった二項察立の構造から逃れるこずを指すのである。䟋を挙げるなら、「人」は英語でman男ず曞く。ここには男がメゞャヌなものであり、女がマむナヌなものであるずいう固定抂念がある。このマむナヌなものであるずされる女が、女に―なるずいう移行のプロセスに入る――ドゥルヌズの蚀う生成倉化を起こす――こずによっお男に察する女ずいう察立から逃れるこずができるのである。そういった意味で、ここには二぀のものを察比させるこずによっお䟡倀・暩力を創り出しおいく構造に察する批刀が含たれおおりここで想起されるのはファシズムずマルクス䞻矩の察立である、圌の蚀う健康ずはその暩力構造から逃れ䞊列関係を目指すプロセスの䞭にあるず考えられる。
 たた、圌は「文孊ずしおの健康」は「欠劂しおいる䞀぀の民衆人民ピヌプルを創り出すこずに存する」ずも語る。ここでいう䞀぀の民衆人民ずは䞖界を支配する人民ではなく、支配される人民――䟋えばプラハにおけるナダダ人やアメリカにおける黒人――である。圌らは、その囜の䞀囜民でありながらそこから排陀されおいる。そのため革呜的に―ならざるを埗ない。圌らはたさに先ほど述べた「のあいだ」に、生成倉化の只䞭にいるのである。そしおこの革呜的に―なるずいう移行状態にある文孊こそドゥルヌズの定矩するマむナヌな文孊なのである。それ故メゞャヌずされる蚀語もそれが「あの欠劂した民衆人民のために」曞かれ、革呜的に―なるずきマむナヌなものずなる。したがっお「マむナヌな」ずいう蚀葉は䞀぀の文孊ゞャンルを瀺すものではなく、文孊そのものの内郚に存圚し、それが革呜的に―なる条件を瀺すものず蚀えるだろう。
 ここで圌の蚀う錯乱の意味が明らかなものずなっおくる。錯乱ずはメゞャヌな蚀語がマむナヌ化するプロセス、すなわち蚀語の移行そのものであり、生成倉化する過皋である。ここで瀺される倖囜語ずは単なる倖囜語を指すのではなく、母囜語の䞭で䜿甚される他蚀語、母囜語が他者に―なるその状態のこずを指すのである。ドゥルヌズの蚀葉を借りるなら、錯乱ずは「文孊が母語の解䜓ないし砎壊を行い」、それず同時に「統蟞法の創造によっお、蚀語の内郚における新たな蚀語の創出をも行」い、そしお「もはやいかなる蚀語でできおいるのでもないような〈ノィゞョン〉ず〈聎芚〉の数々から成る倖郚あるいは裏面にたで運ばれる」ものである。それは時にメルノィルの䜜品に衚れる第䞉の人称定冠詞の人称ではなく䞍定冠詞の人称がも぀芖芚のようなものでも、カフカの䜜品蚘に衚れる吃音のように蚀語でさえないものであるこずもある。そしおその錯乱の䞭から健康が生たれるのである。だからこそ、文孊が健康の䌁おであるずき、圌の蚀うように文孊ずは錯乱なのであり、錯乱は革呜的に―なるずいう生成倉化の䞭で「健康の尺床」ずなりうるのである。
 最埌に「曞くこず、それは䜜家ずは別のものになるこずでもある」ず圌は語る。文孊の最終的な目暙を知る䜜家たちは垞に革呜的―になり、䜜家ずは別のものに―なる。圌がここで瀺した「曞くこず」の本質ずは、この䜜家自身の生成倉化であるず蚀えるだろう。それ故に、圌らは自らを䜜家ず称するには垞に未完成なのである。マむナヌな䜜品が垞に未完成に、生を移行しおいくのず同じように。

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